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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(オ)498号 判決

上告人

金子良造

外四六名

右全員訴訟代理人弁護士

中田義正

外三名

被上告人

国鉄労働組合

右代表者中央執行委員長

村上義光

右訴訟代理人弁護士

大野正男

外二名

主文

本件上告は棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人中田義正、同本谷康人の上告理由一について

労働組合の規約により組合員の納付すべき組合費が月を単位として月額で定められている場合には、組合員が月の途中で組合から脱退したときでも、特別の規定又は慣行等のない限り、その月の組合費の全額を納付する義務を免れないものというべきであり、所論のように脱退した日までの分を日割計算によつて納付すれば足りると解することはできない。したがつて、右特別の規定又は慣行等のない本件では、上告人らは脱退した月の組合費の全額を納付する義務があるとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同二及び三について

一原判決によれば、被上告組合がその組合員から徴収することを決定した本件各臨時組合費のうち、原判示の年末闘争資金二〇〇円(組合員一人あたりの額。以下同じ。)及び春闘資金中の二七〇円は、それぞれ被上告組合が昭和三三年の年末手当等の要求及び昭和三六年春の賃上等の要求を貫徹するための闘争資金、管理所闘争資金一〇〇円は、国鉄が経営合理化の一環として計画した管理所設置の構想に対し人員整理を生じさせるものであるとして反対するための闘争資金、志免カンパ五〇円ないし一二〇円は、国鉄志免炭鉱の民間払下げが同じく合理化による人員整理を生じさせるものであるとしてこれに反対するための闘争資金である、というのであり、これらの資金は、右各闘争の遂行に直接要する費用のほか、その闘争によつて民事上又は刑事上の不利益処分を受ける組合員を救援するための費用にも充てられるものであつたことが、うかがわれる。本件は、被上告組合がその組合員であつた上告人らに対し、右各臨時組合費の支払を請求する事案であるが、原審は、前記闘争の一部に公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条一項違反の争議行為が含まれていたとしても、被上告組合が違法な争議行為を主に実行することを意図していたものとは認められないから、その資金の徴収決議を違法無効ということはできないとして、上告人らに右各臨時組合費の納付義務があると判断している。

論旨は、要するに、たとえ闘争の一部にせよ違法な争議行為が含まれている以上、その闘争全体を違法でないとすることはできず、そのための資金の徴収決議は公序良俗に違反するものというべきであつて、その効力を認めた原判決には憲法二八条、二九条、民法九〇条の解釈適用を誤つた違法がある、と主張する。

二ところで、公労法一七条一項は、公共企業体等の行う事業の公益性にかんがみ、公共の福祉のために、その職員及び組合の争議権の行使に対して特に制限を加えた政策的規定であつて、これに違反した職員が同法一八条により解雇されることなどがあるのはともかく、禁止違反の争議行為であるというだけで、直ちにそれを著しく反社会性、反道徳性を帯びるものであるとすることはできない。また、原審の確定した事実関係に徴しても、本件闘争の態様が公序良俗に違反するほどのものであつたとは認めがたい。それゆえ、右闘争のための資金の徴収決議をもつて公序良俗違反を目的とするものであるとの所論は、採用することができない。

三しかしながら、労働組合において、組合のする決議がいかなる範囲で組合員を拘束し、それに対する組合員の協力を強制することができるかについては、更に検討しなければならない。思うに、労働組合の組合員は、組合がその目的を達成するために行う団体活動に参加することを予定してこれに加入するものであり、また、これから脱退する自由も認められているのであるから、右目的に即した合理的な範囲において組合の統制に服すべきことは、当然である。したがつて、労働組合の決定した活動がその目的と関連性をもつものである限り、たとえ個人的にはそれに反対の組合員であつても、原則としてはその決定に拘束され、そこで定められた活動に参加し、また、その活動を妨害するような行為を避止する義務を負うとともに、右活動の経済的基礎をなす組合費を納付する義務(以下これらの義務を「協力義務」という。)を免れないというべきであるが、他方、労働組合の活動が多様化するにつれて、組合による統制の範囲も拡大し、組合員が一個の市民又は人間として有する自由や権利と矛盾衝突する場合が増大し、しかも今日の社会的条件のもとでは、組合に加入していることが労働者にとつて重要な利益で、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けていることを考えると、労働組合の決定した活動が組合の目的と関連性を有するというだけで、そのことから直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することは相当でなく、問題とされている具体的な組合活動の内容・性質、これについて組合員に求められる協力の内容・程度・態様等を比較考量し、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である。

四そこで、右の見地から、公労法に違反して行われる争議行為とこれに対する組合員の協力義務の関係について考察する。

1  まず、同法違反の争議行為に対する直接の協力(争議行為への参加)については、これを組合員に強制することはできないと解すべきである。禁止違反の争議行為の実行に対して刑罰や解雇等の不利益な法的効果が結びつけられている場合に、その不利益を受忍すべきことを強いるのが不当であることはいうまでもなく、また、右のような不利益を受ける可能性がない場合でも、法律は公共の利益のために争議行為を禁止しているのであるから、組合員が一市民として法律の尊重遵守の立場をとることは、是認されるべきであり、多数決によつて違法行為の実行を強制されるべきいわれはない。

2  次に、同法違反の争議行為の費用の負担については、右費用を拠出することが当然には法の禁止に触れるものではないから、その限度で協力義務を認めても、違法行為の実行そのものを強いることになるわけではないが、違法行為を目的とする費用の拠出は違法行為の実行に対する積極的な協力にほかならず、このような協力を強制することも、原則としてやはり許されないとすべきである。もつとも、労働組合がいわゆる闘争資金を徴収するにあたり、違法な争議行為の実施をその闘争手段として掲げていても、具体的な闘争の遂行過程で実際に右争議行為をするかどうか、また、それをどの程度においてするかは、労使交渉の推移等に応じて流動変転するものであるから、資金徴收決議の時点で既に違法な争議行為を実施することが確定不動のものとして企図され、これと直接結びつけてその資金が徴収されるような場合は格別、単に将来の情況いかによつては違法な争議行為の費用に充てられるかも知れないという程度の未必的可能性があるにとどまる場合には、その資金と違法目的との関連性がいまだ微弱であり、これを拠出することをもつて直ちに違法行為の実行に積極的に協力するものであるということはできない。したがつて、このような場合には、その資金の徴収決議に対する組合員の協力義務を否定すべき理由はない。

また、違法な争議行為の実施が確実に予定されている場合であつても、労働組合の闘争活動は、そのような争議行為だけに限られず多岐にわたるものであり、その闘争費用は一体として徴収されるのが通常であるから、そのうち違法な争議行為に充てられる費用を徴収の段階で具体的に確定することは、実際上ほとんど不可能である。この場合に、闘争活動のなかにいささかでも違法な争議行為が含まれていれば、常に闘争費用の全部につき組合員が協力義務を免れうるとすることは、違法行為に助力することを欲しない組合員の利益のみを絶対視するものであつて、先に述べた比較考量の見地からは当を得た解決とはいいがたい。組合員は基本的には組合の多数決に服することを予定してこれに加入するものであり、組合の闘争によつて獲得される有利な労働条件はすべての組合員が享受するものであることを考えると、闘争の一部において違法な争議行為が含まれているとしても、闘争全体としてはこのような違法性のない行為を主体として計画され遂行されるものであるときは、費用負担の限度においては、その全部につき組合員の協力義務を優先させても、必ずしも著しく不当の受忍を強いるものではなく、組合員はこれを納付する義務を免れないと解するのが、相当である。

3  違法な争議行為により処分を受けた組合員に対する救援費用については、これを直ちに右争議行為を目的とする費用と同視することはできない。すなわち、一般に、かかる救援の主眼とするところは、労働組合がその組織の維持強化を図るために組合員に対して行う共済作用の一つとして、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因となつた被処分者の行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を助長することを直接目的とするものではないから、たとえその救援費用の徴収が違法な争議行為の実施に先立つて決定された場合であつても、これを拠出することが直ちに違法な争議行為に積極的に協力することになるものではないというべきである。したがつて、このような救援費用については、法律違反との関連性が薄いものして、先に述べた違法な争議行為を直接の目的とする費用とは異なり、その徴収決議に対する組合員の協力義務を肯定しても、特に不当とはいえない。

五以上によつてみるのに、本件において原審の確定するところによれば、被上告組合が前記各臨時組合費を徴収するにあたつて指令した闘争手段のなかには、半日ストや勤務時間内の職場集会あるいはいわゆる遵法闘争等が含まれていたが、同組合が右闘争において半日ストや勤務時間内職場集会などを主な闘争手段とし、あるいは違法な争議行為を主に実行することを企図し、これを実行しないときは組合員に闘争の実行を期待しないほどにこれを重視していたものとは認められず、なお、昭和三六年の春闘においては、闘争指令に掲げられていた半日ストが全く実施されることなく闘争が収拾された、というのである。してみると、右各臨時組合費のなかに違法な争議行為の実施あるいはその結果生ずる被処分組合員の救援のための費用が含まれていたとしても、上告人らがこれを納付する義務を免れないことは、以上の説示から明らかであり、これと結論を同じくする原判決は、結局、正当として是認することができる。論旨は、ひつきよう、独自の見解又は原審の認定しない事実を前提として原判決の違憲、違法をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、上告理由二及び三につき裁判官高辻正己の補足意見及び裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官高辻正己の補足意見は、次のとおりである。

私は、多数意見に同調するものであるが、多数意見が組合員は違法な争議行為により処分を受けた組合員(以下「被処分者」という。)についての救援費用の納付義務を免れないとする点に関し、その理由とするところにつき、私の意見を補足的に述べておきたい。

多数意見は、被処分者に対してする組合の救援のための資金を拠出することは、直ちに違法な争議行為に積極的に協力することになるわけのものではなく、法律違反との関連性が薄いのであるから、そのためにする組合の徴収決議に対し組合員の協力義務を肯定しても、特に不当とはいえないとするのであるが、右の法律違反との関連性が薄いということについて、私は、次のように理解するのである。

およそ、違法な争議行為をめぐつてする組合の決議に対し組合員の協力義務を肯定することの可否については、当該争議行為が多数意見のいうように公序良俗違反をもつて目すべき限りのものでない以上、専ら、これを肯定することになると、組合がその多数決による優位の立場において、組合員に対し、その意に反して、違法な争議行為の実行そのものによる不利益を受忍すべきことを強いることになるか否か、又は組合員が一市民としてとるべき法律の尊重遵守の立場と相いれない立場をとることを強要することになるか否か、を基準として判断するのが、相当である。

ところで、組合が組合員に対し、違法な争議行為を行うこと自体を強制することが、なによりも、それを実行すること自体に伴う不利益を受忍すべきことを組合員に強いることになりかねないものであり、また、争議費用の拠出のごとき違法な争議行為の実行そのものに必要不可欠な条件を充足する所為を強制することが、そのことだけに着目していう限り、組合員が一市民としてとるべき法律の尊重遵守の立場と相いれない立場をとることを組合員に強要することになるものであることは、明らかである。しかし、組合が組合員に対し、その行為を行うこと自体を強制したり、その行為の実行そのものに必要不可欠な条件を充足する所為を強制するのではなくて、単に被処分者の救援資金の拠出を強制するにとどまる場合には、それを実行すること自体に伴う不利益を受忍すべきことを組合員に強いることにならないのはむろんのこと、組合員が一市民としてとるべき法律の尊重遵守の立場と相いれない立場をとることを組合員に強要することにもならない筋合いであつて、この種の費用についてする徴収決議に関しては、組合員の協力義務を否定すべきいわれはない。

被処分者の救援は、そもそも、被処分者が生活その他の面で受ける不利益の回復を経済的に援助するものにほかならず、これをするかどうかは、専ら当該組合が法の規制を受けることなく自主的に判断すべき政策問題であつて、多数決によりこれを救援することが決定され、そのための費用の徴収が決議された場合における組合員の協力義務については、他にこれを否定すべきものとする特段の理由はないのである。

私が被処分者の救援費用についての組合の微収決議に対する組合員の協力義務を肯定する理由は、上記のとおりである。多数意見が救援費用について法律違反との関連性が薄いという点は、私としては、右に述べたような趣旨を意味するものと解し、その意見に同調するのである。

裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。

私は、上告理由二及び三について多数意見と見解を異にし、原判決の破棄を求める論旨に理由があると考える。以下、私の見解を述べる。

一 はじめに、多数意見は、「労働組合において、組合のする決議がいかなる範囲で組合員を拘束し、それに対する組合員の協力を強制することができるか」について検討しなければならないとして、「労働組合の決定した活動が組合の目的と関連性を有するというだけで、直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することはな相当でなく、」「公労法違反の争議行為に対する直接の協力(争議行為への参加)については、これを組合員に強制することはできないと解すべき」であり、「禁止違反の争議行為の実行に対して刑罰や解雇等の不利益な法的効果が結びつけられている場合に、その不利益を受忍すべきことを強いることが不当であることはいうまでもなく、」また、「違法行為を目的とする費用の拠出は違法行為の実行に対する積極的協力にほかならず、このような協力を強制することも、原則としてやはり許されないとすべきである。」と説く。右に説かれているところは、すべて正しい。問題は、以下に述べるように、この立場によつて本体の具体的事例に処する適応の仕方いかんにある。

二 本件につき、原審が適法に確定した事実を、原判決に即して示すと、昭和三三年の年末闘争、本件管理所闘争、志免鉱払下闘争、昭和三六年春季闘争の各指令が、各臨時組合費の徴収のほかに、半日ストや勤務時間内の職場集会の実行の日時、場所、参加人員等を大まかに定め、その具体的決定権限を下部機関に与える指令と同時にされていることが認められるが、なお、これら各闘争の指令は半日ストや時間内職場集会のほかに、順法闘争のごとく公労法の規定に直ちに違反すると断定し難い手段や時間外職場集会などの違法の疑いのない行動をも指令していることは明らかであり、そして、前記闘争の指令の内容を検討しても、これら半日ストや時間内職場集会を主な争議行為とし、あるいはスト権奪還のためのみに実行し、又は計画した事実は認められず、また、前記闘争の指令が正当性のない争議行為を主に実行することを意図し、これを実行しないときには組合員に正当な争議行為の実行を期待しないほど重視していると解釈すべき事実を認められないばかりか、昭和三六年春闘においては、被上告組合において全く半日ストを実施しないで右闘争を収拾した事実が明らかである、というのである。日本国有鉄道に雇用される職員及び組合は、公労法一七条によつて争議行為を禁止され、同条の規定に違反する行為をした職員は解雇されるものとされていることは、ここに記すまでもなかろう。

三 ところで、これに対して多数意見は、「原審の確定した事実関係に徴しても、本件闘争の態様が公序良俗に違反するほどのものであつたとは認めがたい。それゆえ、右闘争のための資金の徴収決議をもつて公序良俗違反を目的とするものであるとの所論は、採用することができない。」と冒頭に断定し、そのうえで、「労働組合がいわゆる闘争資金を徴収するにあたり、違法な争議行為の実施をその闘争手段として掲げていても、具体的な闘争の遂行過程で実際に右争議行為をするかどうか、また、それをどの程度においてするかは、労使交渉の推移等に応じて流動変転するものであるから、」資金徴収決議の時点で、「単に将来の状況いかんによつては違法な争議行為の費用に充てられるかも知れないという程度の未必的可能性があるにとどまる場合には、その資金と違法目的との関連性がいまだ微弱であり、これを拠出することをもつて直ちに違法行為の実行に積極的に協力するものであるとすることはできない。」とし、さらに、「闘争の一部において違法な争議行為が含まれているとしても、闘争全体としてこのような違法性のない行為を主体として計画され遂行されるものであるときは、費用負担の限度においては、その全部につき組合員の協力義務を優先させても、必ずしも著しく不当の受忍を強いるものではなく、組合員はこれを納付する義務を免れないと解するのが、相当」と説いて、このような場合にその資金の徴収決議に拘束力を認める立場を一層強調するのである。しかし、私は、所論の半日ストや勤務時間内職場集会など公労法一七条違反の争議行為の指令条項が、単に景気づけの呼号にすぎず、相手方に対する強がり文句挿入の域を出たものではないというのであるならば格別、いやしくもかかる行為が本件闘争手段に含まれていることを明らかに肯定し、かつ、その資金として金額的に不可分で合法・非合法による使途目的の区分不明のまま金員を拠出させるものであることを当然のこととして認定しながら、スト禁止の実定法の存在するもとでその意味を極力微小視し、違法とされる争議行為を含むことを明らかに示した闘争費用の拠出決議や指令に法的拘束力があることを認めうるとする多数意見の立場は、とうてい納得することができない。思うに、多数意見は、一部の争議行為が違法であるからといつて全体の争議行為が違法となるものではないという命題から、直ちに、そのための費用徴収決議は法的拘束力をもつ、という結論に飛躍する誤りを犯したもののようである。いうまでもなく、本件における問いかけは、闘争資金の徴収決議が組合員に対し法的拘束力をもつか否かということなのであるから、この場合は違法闘争を理由として法的制裁(刑罰又は行政罰)を科す場合とは異なり、その闘争行為のすべてが違法であつたことを確定する必要はなく、むしろ闘争自体が適法であることこそが確定されなければならないのである。違法闘争を含めての、その闘争の全体のために闘争資金の拠出が求められる場合に、その資金の使途について適法な闘争手段のための金額と違法な闘争手段のための金額の区分があり、かつ、前者の拠出のみを法的に強制されるものと解しうる事情が認められるならば、それこそが訴訟に堪えうる本来の特別の事情であつて、仮りにも、このような事情もなしに、ただ闘争資金の故をもつて拠出の協力を組合員に義務づけこれを強制することは許されるはずがないのである。たとえ一部であるにせよ、また、その違法闘争が予測の段階にとどまる場合の徴収であるにせよ、違法の使途を含むことを掲げる資金の拠出の強制を法的に肯定することは、違法行為の実行に協力させることを法認するものにほかならず、どうしてこれが、私法上の権利として許されるであろうか。

原判決は、「労働組合の闘争の指令が正当性のない争議行為の指令を含み、しかも、組合員に対して、これを重点的に実行することを命じていて、これが実行できないときには正当性のある争議行為の実行を期待できないものと解釈されるときには、たとえ右闘争指令が正当な争議行為の指令を一部含んでいたとしても、全体として公序良俗に違反し、無効であると解してよい。」という。これはその限りにおいて妥当であるが、ここで注意すべきことは、闘争指令全体の有効・無効と本件の臨時組合費徴収の訴求における当否を同一視してはならないということである。もとより、指令全体が違法であれば、その違法目的を実行するための資金の徴収決議は無効であるに相違ないけれども、指令全体が違法とはいえないからといつて、資金の徴収決議が必ずしも有効となるものではない。つまり、両者の間にあたかも確立した相関関係があるように立論すると、誤つた判断に至るのである。

四 ところで、多数意見は、その結論を導くにあたり、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の比較考量という方法を用い、「闘争活動のなかにいささかでも違法な争議行為が含まれていれば、常に闘争費用の全部につき組合員が協力義務を免れうるとすることは、違法行為に助力することを欲しない組合員の利益のみを絶対視するものであつて……比較考量の見地からは当を得た解決とはいいがたい。」とする。しかしながら、私によれば、およそ違法行為に助力しないのは法律上それが許されないから助力しないのであつて、これを多数意見のいうように、個々の組合員の利益を絶対視することによる非協力などと、解すべきものではない。そしてまた、組合自身の立場としても、その構成員である組合員に対して、その組合員等が欲しない違法行為につながる助力を強制してよいはずがない。したがつて、違法の使途を含む費用の負担を拒む組合員のいわゆる利益と、闘争費用の全部につき支出を求める組合の利益とを、比較考量して結着を図ることは、いかにも当を得ず、司法的にみれば、この場合の利益の比較考量は、あくまで双方の適法な利益におけるそれであるべきものである。重ねていうと、本件の場合、組合の闘争方針に従えない組合員がこのような協力義務を免れるべきであるのは、多数意見のいうごとき「違法行為に助力することを欲しない組合員の利益のみを絶対視」するからではなくて、合法を欲する順法の立場からであることを、知らなければならないのである。

五 次いで、いわゆる救援費用につき、多数意見は、救援の主眼とするところは、「労働組合がその組織の維持強化を図るために組合員に対して行なう共済作用の一つとして、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり」、「処分の原因となつた被処分者の行為……を助長することを直接目的とするものではないから、たとえその救援費用の徴収が違法な争議行為の実施に先立つて決定された場合であつても、これを拠出することが直ちに違法な争議行為に積極的に協力することになるものではないというべきで」あり、したがつて、「このような救援費用については、法律違反との関連性が薄いものとして、先に述べた違法な争議行為を直接の目的とする費用とは異なり、その徴収決議に対する組合員の協力義務を肯定しても、特に不当とはいえない。」と述べる。しかしながら、組合は違法行為の実行に積極的に協力させ、あるいは、させたことを顧慮すればこそ、組合としてその違法行為の実行により処分をうけた組合員を救援しなければならず、そのためにその資金徴収を決議し、これに法的拘束力をもたせる必要があるわけであつて、そうでなければ、その拠出を強く主張する根拠を見出しがたい。もとより、救援活動が必ずしも違法な実行行為に対する積極的協力とは見られない場合があるにしても、相互に協力関係があることは争う余地がなく、かかる協力関係が認められる限りにおいて、その費用の負担は、法的強制の外に、その意図に相応しい途を選ぶべきものであろうと、私は考える。すなわち、この種の救援活動の場合にあつては、その救援の原因をなす処分を受けた組合員の当該行為が、組合の指令や決議と無関係に敢行されたものではなく、そのことゆえに組合が救援活動を行なうのであるというゆえんを度外視して他をいうことは、当を得たものではないのである。私は、組合の共済作用としての救援活動の社会的意義とその有用性に高く評価すべきものがあることを広く認めるものであるが、本件闘争の事例に即して多数意見の見解を一、二審判決の判示とともにみる限り、いわばその闘争方針につき争いがある場合に、闘争を指導した組合の幹部なり執行部なりがその責任において負うべき問題と、その方針に抗してすでに当該組合を脱退した組合員個々の法的義務の問題とを混同してはいないかと、想わざるを得ないのである。

六 以上をもつて、私は、その他傍論部分の多くにつき論ずるまでもなく、原判決には結局民法九〇条の解釈適用を誤つた違法があり、上告理由二及び三の論旨は理由があると考える。よつて、本件は、被上告人の本訴請求中、上告人らに対しそれぞれ第一審判決添付第二目録の「(ロ)年末闘争資金」「(ハ)管理所闘争資金」「(ニ)志免カンパ」各欄記載の金員及びこれらに対する遅延損害金の支払を求める部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、右の各部分に関する請求を棄却すべきものである。

(江里口清雄 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 高辻正己)

上告代理人中田義正、同本谷康人の上告理由

一、原判決中附帯控訴に対する判決には理由を附せず、或は、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背があるから該当部分は破棄さるべきである。

一般組合費について。

原判決に於ては、上告人らに対する一般組合費の支払義務を全部認めたものの、その判断につき、結局理由を附していない違法がある。

(一) 原判決は、一般組合費につき、第一審判決理由を全面的に援用しているので、第一審判決理由を、ここに、摘記すれば、

『(上略)……脱退した月の分については、脱退日までの分を日割計算すべきものか否かについて争があるところ、いづれも成立に争のない甲第一〇、一一号証によれば、昭和三六年七月一八日以前の組合規約第三九条(現行規約第四二条)第二項には「組合費の月額は大会できめる」とあり、一般組合費は月単位で定められていると考える。格別の慣行のあることも認め難いから、たとえ月の途中で脱退した場合でも、その月の組合費は月額全部を納入すべきもの(前同)と解するのが相当である。』

と判示している。

右説示によれば、一般組合費は、月単位で定められていると考えられるから、月の途中で脱退した場合でも、その月の組合費は全額納入すべきものというのであるが「月単位で定められている」ということ自体から、直ちに、脱退者は、その脱退日を含む該当月全額を納入すべき義務があるとする解釈は、独断である。このように解釈すべき組合規約、論理、慣行、条理はいづれも存しない。月単位で定められていることからいい得ることは、金額が月単位で定められているということにすぎず、金銭納付義務が月単位で、発生するということではない。

敢て付加すれば、「金額が、月単位で決められているということは、それに該当すべき金銭納付義務も亦、月単位で発生するといわざるを得ず」(もつとも、そうであれば、月のうち、何日にその義務が発生するかが更に疑問になるが)、とでも、いう外あるまいと思われる。そのような観点から、第一審判決及び、これを引用した原判決の判決理由を検討すれば、この点に於ける説示を、全く欠き、これを理解することが到底不可能である。結局原判決は、その判決に理由を付していない違法があり、これが判決に明らかに影響を及ぼすもの、という外ないと思料するのである。

(二) 更に、右主張を詳論する。

① そもそも、組合費を、月単位に決めているということは、何を意味するものであるか。これは、年間一般組合経費を、予算として、計上し、これに見合う組合費総額を定め、つぎに、各組合費の年間組合費負担額を決定し、その年間組合費負担額の支払方法として、これを、毎月払と定め、(おそらく、一括納入は、負担が大きすぎるので、毎月の給料支払日に対応しの定めたものであろう。)その月割額を示しのいるものにすぎないのである。

月額を決定することは、支払方法を定めるものという意味をもつにすぎず、これが、金銭支払義務を課する意味をもつことは、到底、あり得ないのである。翻つて、これを、本件に看れば、被上告人組合は、一般組合費の支払義務の発生時期について、遂に、これは明らかにせず、当該年度に入つた時に、その義務が発生するというのか、月の一日になつた時に、支払義務が発生するというのか、いずれとも明示しない。組合費は、一般組合費として徴収すると定められた月額を毎月一定額宛支払う義務があると主張するのみである。

② 原判決は、組合員の、組合脱退の自由を認め、脱退の効力発生時期は、脱退届の、組合への脱退の意思表示の到達時である、と判断した。

而して、一旦、組合員が、組合を脱退した以上、組合員は、爾後組合の如何なる指令にも、指示にも支配されない無縁の存在となる。一旦脱退した以上、理の当然として、脱退後に生ずべき組合経費を、負担する理由もなく、又義務もない。組合脱退後に、未だ、脱退日を含む当該月に残余日数があるからとして、当該月分の経費負担の全額を認めるが如きは、何等の根拠も、あり得ない論である。一ケ月とは、吾人の生活便宜上、区切りをつけるために設けた、単なる生活上の節にすぎない。

原判決の認定は、月額をもつて約した土地家屋の賃貸借契約上の賃料、月額を以て定められている勤労者の月給について、月半ばで、これを解約し、又退職したとき、特約もないのに、その賃料や月給が、月額を以て定めてあるので月額全額支払う義務があると解するに等しく、合理的な根拠を欠くもので、いわれなき負担という外はない。

以上の如くである。したがつて、原判決の判示理由は、判決理由の態をなしていないと思料する。組合経費に見合う組合費の負担は、組合在籍回数に照応し、年間総額の一部を負担せしむれば足り、月に、これを、直せば、月日数の日割計算によるべきものである。

原判決の判決理由は、結局判決に理由を付しなかつた違法があり、これは、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。

二、原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背がある。

民法第九〇条の解釈又は、その適用をあやまつた。破棄を免がれない。

臨時組合費の年末斗争資金、管理所斗争資金、志免カンパについて。(上告人は闘の字を斗と便宜使用する。以下同じ。)

(一) 原判決は、第一審判決理由をその判決理由として援用し、更にこれに附加し、詳細に、理由付けをしている。これを共に、要約摘記すれば、次のとおりである。

一審判決理由

『(上略)……これらの闘争が、原告組合の目的の範囲内であることはいうまでもなく……(中略)……それらの闘争の一方法として、組合幹部が勤労時間内の職場集会を企図し、また現に、かかる集会を一部の組合員が行なつたなどの事実もうかがわれるところであるが、しかし、たとえ個々の闘争方法の一部に違法の点があつたとしても、それをもつて、直ちに闘争全体が違法ということはできず、これを本件について、全審理を通じて判断しても、右各闘争そのものが、全体的に違法ということはできないので、被告らには、前記(ロ)(ハ)(ニ)(註、年末斗争資金、管理所斗争資金、志免カンパのこと)の各臨時徴収分を納付すべき義務がある。』

原審判決理由

『被控訴代理人は、前記各資金及び後記「春闘資金」の対象となつた闘争の指令が、公労法第一七条に違反する争議行為の指令と内容の一部として含んでいることの故に、右闘争の指令自体違法であり、右争議は全体的にも部分的にも部分的にも違法であり、右指令に基き、被控訴人らが臨時組合費を拠出することは公労法第一七条第一項後段に違反すると主張する。

なる程労働組合の正当性のない争議行為のための費用に充てるために、臨時組合費を徴収する決議は、動機の不法性を表示してなされるが故に、公序良俗違反として無効である。更に労働組合が、労働争議の解決の手段を、主として正当性のない争議行為に、求めたなどのため、争議費用の大部分が、右の正当性のない争議行為の費用で占められていることが明らかであるのに、右の争議全体の費用にあてるために臨時組合費を徴収する決議も、同様に無効であると解してよい。しかし、単に、労働争議解決のための争議行為の一部に、正当性を欠くものがあるというだけでは、闘争全体を違法視することはできないし、右争議費用にあてるための臨時組合費の徴収決議を無効であるということはできない。

また、なるほど労働組合のなした正当性のない争議行為の指令は、違法であつて、組合員を拘束しない。更に、労働組合の闘争の指令が、正当性のない争議行為の指令を含み、しかも、組合員に対して、これを重点的に実行することを命じていて、これが実行できないときには正当性のある争議行為の実行を期待しないものと解釈されるときには、たとえ右闘争指令が正当な争議行為の指令を一部含んでいたとしても、全体として、公序良俗に違反し無効であると解してよい。

しかし、単に闘争指令の内容の一部に正当性のない争議行為の指令が含まれているというだけでは、右闘争指令全体が違法であるとか、右闘争費用にあてるための臨時組合費の徴収決議が無効であるということはできない。したがつて、右闘争資金の拠出が、公労法第一七条第一項後段に反するとは云うことができないのである。

そして、……(中略)……昭和三三年の年末闘争、本件管理所闘争、志免鉱払下闘争、昭和三六年春季闘争の各指令が、前記各臨時組合費の徴収のほかに半日ストや、勤労時間内の職場集会の日時、場所、参加人員等を大まかに定め、その具体的決定権限を下部機関に与える指令と同時になされていることが認められるが、これら半日ストや勤労時間内の職場集会が、直ちに公労法第一七条に違反するものと、たやすくいうことができず(最高裁大法廷昭和四一年一〇月二六日判決刑集二〇巻八号九〇一頁参照)仮に、この点を積極的に解するとしても、なお、前記各闘争の指令は、半日ストや、時間内職場集会のほかに遵法闘争のごとく、前記公労法の規定に直ちに違反すると断定し難い手段や時間外職場集会などの違法の疑のない行動をも指令していることは、前記各証拠から明らかであり、そして、控訴人組合の前記各闘争の指令の内容を検討しても、これら半日ストや時間内職場集会を主な手段行為とし、或はスト権奪還のためのみに実行し、または計画した事実は認められず、また、前記闘争の指令が、正当性のない争議行為を主に、実行することを意図し、これを実行しないときには組合員に正当な争議行為の実行を期待しない程重視していると解釈すべき事情も認められないばかりか、昭和三六年春闘においては、控訴人は全く半日ストを実施しないで右闘争を収拾した事実は前記乙第六号証から明らかである。

そうしてみると前記各資金の対象となつた闘争の指令が半日ストや時間内職場集会の指令を含んでいるとしても、右臨時組合費の徴収決議が違法無効とは言うことができないものと解さなければならない。』

と判断し、臨時組合費に関する控訴人の主張の一部を認容した。

これは、公序良俗に関する法令の適用をあやまつたもので、判決に影響を及ぼすことが明らかである、と思料する。

(二) 右判決理由は、要するに、被上告人組合の斗争行為の中に、仮りに、公労法第一七条に違反する争議行為が含まれていても、その違法行為が、争議行為の殆んど全部であるとか、その要素である場合を除き、その争議行為を全体として違法視することはできない。ましてや、右争議行為中に、正当性のあるものが含まれているときは、これら一連の争議行為全体を違法と解することができないし、又争議の指令についても、違法な争議指令が一部含まれているという丈では、全指令を違法と断ずるを得ないというに在る。

本件に於て、争の対象となつている斗争は、その中に、半日ストや、時間内の職場集会等の争議行為が含まれている。しかし、右斗争全体からみると他の正当な争議行為即ち、時間外の職場集会や、業務と関連のない行為の指令や行動が含まれているし、又、半日ストや、時間内職場集会のみを目的にして行つたものでもないし、ましてや、昭和三六年の斗争に於ては、結局やるといつていた、違法な半日ストは行わずに、争議を収拾しているのである。この程度の違法行為が含まれていたとても、争議全体が違法であると判断するわけにはゆかない、というにある。

原判決は、本件争議行為の中に、違法性のあるものとないもの、即ち正当なものと違法なものが混在するとみる。そして、全体として、争議行為が違法となるか、正当のものたるかは、一に係つて、その間の、全体に於ける比重で判断する。違法性のあるものが、その大半を占めるものは、全争議も、違法性を帯びるとみる。違法性の程度が、軽ければ全体としては、違法ではない、と看る。

判示理由は、要するに、全体と個々の行為との比較衡量の上に立つて、全体としての価値判断を与えようとするものである。なるほど一部の邪により、正を邪に変質せしめることはないであろう。果して然らば、遂に、正あるが故に、邪をも又、正に変ぜしめることがあり得るのであろうか。原判決は、全体としての争議行為の価値判断を下すがために、個々の違法行為を、あたかも、とるに足らぬ行為であるかの如く切捨てたが、正のみに執着し、邪に対する判断を放念し、民法第九〇条の適用を、あやまつたものである。

① 被上告人組合が行なつた公労法違反の行為について、原審の判断が生まれ出ずるに至つた最大の理由は、被告人組合の、ストライキに処する態度に対し、極めて判断が甘かつたか、又は、その影響を軽視したところから生まれたものであつたろう。謂うまでもないが、被上告人組合は、公労法第一七条を、違憲と主張し、官公労組のストライキは、合法的なものであると主張し続けており、従つて、争議に当つては、合法行為であるか、違法行為であるかの分離等は、全く考えたことすらないことである。

公序を背景として、公労法第一七条が定められたものなど、思考の外である。公労法第一七条に違反すること、即ち、公序をかく乱することに相通ずることなど、凡そ、被上告人組合の、曾て、討議の場におかれたことがない。争議一連の行為は、ストライキ又は、スト権回復を終着とし、これに結着する行動を積み重ねているのである。本件争議行為は、国鉄の正常な業務を阻害すること即ち、公序を、かく乱することにより国鉄当局に組合の要求を承認せしめ、ひいては、右目的を遂げるためのものであつて、そのための行為たること、即ち、本来、被上告人組合の争議は、公序を、かく乱する目的のもとになされていること、この観点から、争議全体の違法性を認識し判断すべきと考える。

② 更に、日本国有鉄道の場合は、その健全なる運営が、即国民生活に直結し、仮にもせよ、列車の遅延、運休等、を生ずる場合には、その行為は、その他適法なる行為が仮りに含まれているとしても、一連のものたる限り、全体として、違法なる行為と、いわざるを得ないと考える。即ち、公序という概念は、裁判所の自由裁量を大巾にみとめるほど融通性のある概念ではない。

たとえば、である。前記年末闘争資金についてこれをみよう。

右は、第一審判決に於ては、昭和三三年年末の斗争のための費用に充当すべきことが明示されている。

(第一審判決一〇丁裏二行目)

原審に於ては、②の年末斗争資金を徴収する決議と共に半日ストや、時間内の職場集会の実行の日時、場所、参加人員等を、大まかに決め(原判決第二二丁裏一〇行目以下)……と認定しているのである。

これらの半日ストや、時間内の職場集会が、公労法に定める職場秩序のかく乱であり、公序に反することは、理の当然であると考える。

(原審引用の、最高裁判決は、その意味に於て、適切ではない。結果として職場秩序を、みだすことが少なかつたことを理由に、具体的処分について、公労法の適用を排斥したものである。結果としての行為をする、しないに不拘、半日ストや、時間内職場集会を開くとする決議が無効であるか否かについての判断には触れるところがない。)

更に半日ストや、時間内職場集会、更に遵法斗争が、必ずしも、公労法に牴触するとは判断し難いとする判定については、原審の判断が如何なる基準に基いてなされたのかを疑うと共に、原判決自体の中でも、それ自体判断に矛盾を、はらんでいるものと考える。

(原判決第二一丁裏面三行目から、一〇行目中段まで)。

遵法斗争が、適法であるが故に、法に触れるところがないとするかの如き判断は、形式論である。法や規則を、杓子定規的にまもり(たとえば、構内車輛入替作業時には、時速二五キロ以下とあれば、通常時は時速二〇―二三キロ程度で入替作業をするものを、時速二―三キロで入替作業をするのである。作業に著るしい停滞を生ぜしめ、運行の正常な確保に著るしく支障を生じる)実質的に争議行為同様の効果を生ぜしめるのである。

昭和四八年三月に、訴外国鉄動力車労組、被上告人組合が行つた、激しい遵法斗争の結果、上尾に於て住民暴動の生じたことは、公知の事実である。

これをしも、尚、違法性が疑わしいと判断するならば、(又事実、原判決は、遵法斗争を、違法性を、みとめ難いとしているのである)原判決は、公序に関する民法の規定を適用する前に、既に、公労法の適用をあやまつていると考えてよい。

なるほど、公労法に関する争議行為禁止の規定は、憲法の精神からして、相成るべくは、厳格に、実体に応じて適用されるべきものであろう。

しかし、半日ストや、時間内職場集会、ついては遵法斗争まで、公労法の適用を避け他にも、適法なる争議行為を含んでいるから、全体としては、これが違法であるとはいえない、とみるのは、明らかに、民法第九〇条適用のあやまりと考える。

他の臨時費についても、実情は、同じである。

③ しかも、特に、注目しなければならないのは、臨時組合費徴収の実質的な目的である。

適法な争議行為、たとえば、集団示威行進であるとか、時間外職場集会などのときには、組合としては、費用は、不要であるか、必要としても、極く僅かであつて、(たとえば、弁当代、車馬実費)そのような費用は、当然、組合費を以て、まかない得る程度のものなのである。もともと組合としてはその程度の費用は、当然、組合活動費をもつて、賄い得るものなのである。

本件金員は、右の費用に、充てる目的のものではない。

違法な争議行為を行ない、それにより、公労法又は、日本国有鉄道法(以下日鉄法という。)により処分を受けた者に対する、いわゆる補償金に充てるというのが、その主たる目的なのである。

然るが故に、上告人に於て、これに反対し、つよく抗争するのである。

④ 上告人らは、正当性あるものについてまで、負担を拒否するつもりではない。しかし、上告人としてはその正当なるものと、違法なるものとの区分をつけることができない。したがつて、その支払を拒否するは当然である。原判決の如くに全体が必ずしも違法ではない、といわれる筋はないと考える。

原判決は、この点に於て、明らかに、法令の適用を、あやまつたのである。

⑤ 原判決認定の如く、違法性のあるものであつても、適法な行為の一部と共に存在するときは、これが、全体として、適法なる行為とみとめるべきである、と判断されるに於ては、結果として、公労法第一七条は、死文化する。本件第一審の判決の右判示後、被上告人組合は、たくみにこれを利用し、実質的には、違法なる争議をなし、それがための費用を、組合員から徴収するにもかかわらず、形式的には、一般組合費の追加予算であるかの如き特別組合費等と総称して徴収するに判つている。かくの如く、本件は、既に、公労法第一七条を死文化するに、絶大なる力を有している。上告人らは、法治国家の国民として、又労働者として、現行法を遵守し、法秩序をまもる立場に在る。然るが故に、公労法違反行為をすることに反対し、又そのための資金経費は負担しないと主張して、抗争しているのである。

最高裁においては、以て、この主張に、明快なる断を垂れられんことは懇望する。

これを要するに、原判決は、一部の違法性あるが故に、全体としては、全部を違法と解し難いと判断し、民法第九〇条の判断をあやまり、民法九〇条を適用すべきであるに拘らず、これを拒否したものである。これは、判決に明らかな影響がある。

破棄を免れない。

三、原判決には、憲法の解釈にあやまりがあり、破棄を免れない。

(一) 憲法第二八条には、労働者の団結権、交渉権、争議権が保障されており、それには、何らの制約は、付されていない。しかし、一方、私権は、公共の福祉に遵うべき旨定め、(憲法第二九条第二項)、吾人が日本人、日本国民として、生活するにあたつては、単に、私権の主張のみにとどまらず、自らをも、又制し、私権も、又、公共の福祉にしたがうべき旨定め、共同生活を営むべき人間としての公共の福祉に自らを適合せしめるよう、相互に調整をはかつた。

労働基本権を尊重することは、国政の一環として必要であり、憲法の要請するところであろう。公労法の規定を、能う限り限定的に解釈すべきことも、又、一顧に価する法理と考える。

しかしながら、これにも自ら、限界があり、その限界を規律するのは、公共の福祉の理念に外ならないのである。

(二) 昭和四八年三月訴外国鉄動力車労組、被上告人組合は、何れも、遵法斗争を実施した。原審が、奇しくも「必ずしも、直ちに違法とはいえない」と判断した遵法斗争をである。

その結果は、どうであつたか。上尾に於ける暴動である。滞貨による、物価の上昇である。大学の入学試験に対する著るしい妨害である。

このように、いわば、国民大衆の、経済生活、文化生活を危殆におとし入れたのである。このように公共の福祉を阻害してまで、尚保護さるべき被上告人組合の争議権は、存在しないと考える。

国民全体の生活をあづかる国鉄職員は、組合員である前に、まず国民の一人であらねばならない。国民の一人であると共に、国民の生活を維持する国鉄職員であらねばならない。

国民生活を、危殆におとし入れてまで、尚保護されるべき労働基本権は、被上告人組合にはないと考えるべきである。

被上告人組合の労働基本権と、国民大衆の福祉との間にあつて、この間の調整弁として設けられたのが、公労法の第一七条の定めである。五分や一〇分の列車の遅延を来す遵法斗争ならば許容する余地もあろう。しかし、半日スト、時間内職場集会の如きは、列車の遅延数知れず、国民生活に重大なる影響を与え、到底許容することはできない。公労法に牴触する争議行為たることは、論をまたないと考える。

この意味に於て、原審は、憲法第二八条と第二九条の各解釈をあやまり、その運用をあやまつたものと評して敢て、さしつかえは、あるまいと思われる。

(三) 公労法が、三公社、五現業に、ひとしく適用されるもの、画一的に、その運用をみるもの、とする考え方には、当方らとても、必ずしも賛成ではない。

現実に、アルコール専売の業務が一時中断しても、あるいは、煙草の生産が半月停止しても国民生活に対する影響は少ないであろう。少くとも、生命には影響はないであろう。せいぜい、工業用メタノールの枯渇を来たし、又、愛煙家が、一とき不自由をかこつ程度であろう。しかし、国鉄が止まれば、国の経済が、破綻する。その日から直ちに、国民経済がぐらつく。国民生活が窮乏(ぼう)する。米の貨車が半月東京に入らなかつたことを考えるだけで、身の毛もよだつ戦慄を感ずる。したがつて、国鉄職員に課せられた責務は重大である。被上告人組合に対し加えられた制約もこれが故に大きい。その範囲内に於ける争議行為でなければならないのである。

原判決は、国が憲法に於て、宣揚している労働基本権を尊重する余り、一方の条件たる公共の福祉を忘れ、その間の均衡を忘れ、その間の適切な判断をあやまり、憲法の運用をあやまつた違法がある。

原判決は、その意味に於て、破棄を免れない。

被上告人組合は、そもそも、列車の運行を阻害するおそれのある否、おそれというより、むしろ、間違なく列車の運行を阻害する結果をもたらす争議にいたる決議をすることができない。

又、そのための費用調達の決議をすることも許されないのである。

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